プレスリリース

量子コンピュータのエラー抑制技術の理論限界を解明 ―最適な量子エラー抑制手法の設計に向けて―

 

発表のポイント

◆ 量子コンピュータのエラー抑制技術の限界を理論的に証明し、量子エラー抑制のみを用いる現行の計算方式では、実行可能な演算回数が制限されることを、世界で初めて明らかにしました。
◆ 解明した理論限界を達成するような、エラーを最も効率よく除去できる最適な量子エラー抑制手法を、新たに同定しました。
◆ 本研究成果は、量子エラー抑制のみを用いる現行の計算方式から、量子エラー訂正機構を備えた新規の計算方式への転換の必要性を提示します。さらに、量子エラー訂正に基づく新規計算方式に本研究で得られた最適手法を応用することで、量子コンピュータの早期の実用化に貢献することも期待されます。

 

fig01

量子エラー抑制の概念図

 

概要

東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻の坪内健人大学院生、沙川貴大教授、吉岡信行助教らの研究グループは、量子コンピュータ(注1)で計算を実行中に発生するエラーを、量子エラー抑制(注2)という手法によって取り除く際に必要な計算時間の理論限界を明らかにしました。

量子エラー抑制とは、エラーの多い量子コンピュータで計算を複数回実行し、その実行結果を古典コンピュータ(注3)に事後処理させることによって、エラーのない真の出力を予測する手法群の総称です。本研究では、量子推定理論(注4)を用いた解析によって、量子エラー抑制に必要な量子コンピュータの実行回数=計算時間が、量子コンピュータの演算回数に対して指数的に増大するという理論限界を世界で初めて導出しました。また、エラーの多い量子コンピュータの計算結果を定数倍するという単純な手法により、導出した計算時間の限界を達成可能であるということも明らかにしました。

本研究成果は、量子エラー抑制に基づく現行の量子コンピュータの限界を明らかにすることで、量子エラー訂正(注5)と呼ばれる、より抜本的な対策を行う機構に基づく量子コンピュータの早期開発の必要性を提示します。さらに、得られた最適手法の知見を量子エラー訂正とハイブリッドに組み合わせることで、量子コンピュータの早期の実用化に貢献することも期待されます。

 

発表内容

【研究背景】

量子力学の原理に従って動作する計算機である量子コンピュータは、素因数分解や量子化学計算を従来のコンピュータ(古典コンピュータ)よりも桁違いに速く実行できることが理論的に示されており、その実用性の高さから大きな注目を集めています。しかし、現在実現されている小中規模の量子コンピュータは、演算するたびに外部環境との相互作用に起因するノイズの影響を大きく受けるため、計算結果に大きなエラーが含まれてしまうことが重大な課題となっています。そこで、現代の量子コンピュータでも実行可能な、簡易の対抗手段として、これまで量子エラー抑制というアプローチが提案されてきました。

量子エラー抑制とは、エラーの多い量子コンピュータで計算を複数回実行し、その実行結果を古典コンピュータに事後処理させることで、真の出力を予測する手法群の総称です。これまで、さまざまな量子エラー抑制手法が提案され、それぞれの手法の性能調査や検証が盛んに行われてきました。しかし、量子エラー抑制自体の理論的研究は不足しており、既存の量子エラー抑制手法よりも有効な手法の有無や、限られた計算資源の中で抑制できるエラーの量の理論的限界などについては、今まで明らかではありませんでした。

 

【研究内容】

本研究チームは、量子推定理論と呼ばれる理論体系の考え方を応用することで、量子エラー抑制に必要な量子コンピュータの実行回数の理論的下限を、世界で初めて導出しました。本来量子エラー抑制は、さまざまな微調整を施した量子コンピュータを複数回実行し、その実行結果を古典コンピュータに事後処理させます。本研究では、この一連の処理を一度に実行できる仮想的な量子コンピュータを構築します。この仮想的な量子コンピュータに量子推定理論を適用することによって、量子コンピュータのエラーを取り除くために必要な実行回数=計算時間の下限が、量子コンピュータ中の演算回数に対して指数的に増大するという原理限界を導出することに成功しました。このことは、量子エラー抑制を用いる現行の計算方式では、演算のたびに発生するエラーの除去に莫大な計算時間を必要とするため、量子コンピュータ中で実行可能な演算回数が大きく制限されることを意味しています。

また、本研究チームは、導出した下限を達成するような、エラーの除去に必要な計算時間が最小となる最適な量子エラー抑制手法も同定しました。量子コンピュータ中のノイズは、演算が進むごとにホワイトノイズ(注6)という均一なノイズに近づいていきます。ホワイトノイズはあらゆる演算が等しい確率で加わるようなランダムなノイズであり、量子コンピュータの実行結果を「均一に縮小する」エラーを起こします。そのため、ノイズがホワイトノイズで近似できる場合、量子コンピュータの実行結果を定数倍し、エラーによって均一に縮小された実行結果を拡大することによって、エラーを効率的に取り除くことができます(図1)。この定数倍手法に必要な量子コンピュータの実行回数は、導出された下限を達成することが明らかとなりました。これは、この定数倍手法が、ホワイトノイズによる近似が妥当な場合、エラーの除去に必要な計算時間が原理的に最も短くなる、最適な量子エラー抑制手法であることを意味しています(図2)。

 

fig02

図1:最適な量子エラー抑制手法の概念図

ホワイトノイズの影響で「均一に縮小する」エラーが加わった量子コンピュータの出力は、古典コンピュータによる事後処理の際、定数倍することによってエラーの影響を受ける前の出力に復元できる。

 

 

fig03

図2:さまざまな量子エラー抑制手法における、エラーの除去に必要な計算時間の振舞い

前述の最適手法に必要な計算時間は、本研究によって導出された、量子エラー抑制によるエラーの除去に必要な計算時間の下限と一致する。最適手法を実行することで、さまざまな既存手法と比較して、計算時間を削減することができる。

 

【研究の意義、今後の展望】

本研究成果は、エラーの多い量子コンピュータを有効活用する際の重要な一歩と言えます。まず、本研究で得られた量子エラー抑制の原理限界は、量子エラー抑制のみを用いる現行の量子コンピュータの性能が大きく制限されることを意味します。そのため、量子エラー訂正機構を備えた大規模な量子コンピュータの早期開発を促す成果であると言えます。とはいえ、完全な量子エラー訂正機構の実現には、数十年に及ぶ研究開発が必要となると予測されており、中長期的には、量子エラー抑制手法の知見を組み合わせた、ハイブリッドな計算方式が必要になると考えられます。したがって、本研究で得られた最適な量子エラー抑制手法の知見は、現代においても将来においても、量子コンピュータの実用化を早める役割を果たすと期待されます。そして、基礎科学・材料科学・機械学習など、量子コンピュータの応用が有力視されている幅広い分野の発展への貢献も見込まれます。

 

〇関連情報:

本研究結果と同時に発表された関連論文に関するプレスリリース

「量子コンピュータのノイズ効果を抑制する量子誤り抑制法の原理的性能限界を解明」(2023/11/23

https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/news/topics/20231123010000.html

 

発表者・研究者等情報

東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻

 坪内 健人 修士課程

 沙川 貴大 教授

 吉岡 信行 助教

 

論文情報                                          

雑誌名:Physical Review Letters

題 名:Universal cost bound of quantum error mitigation based on quantum estimation theory

著者名:Kento Tsubouchi*, Takahiro Sagawa, Nobuyuki Yoshioka*

DOI10.1103/PhysRevLett.131.210601

 

研究助成

本研究は、以下の支援により実施されました。
JST さきがけ「
量子並列回路を用いた計算基盤の構築(課題番号:JPMJPR2119
JST ERATO「沙川情報エネルギー変換プロジェクト(課題番号:JPMJER2302)」
JST ERATO 特定領域調査「情報エネルギー変換(課題番号:JPMJER2204)」

JST 共創の場形成支援プログラム「量子ソフトウェアとHPC・シミュレーション技術の共創によるサスティナブルAI研究拠点(課題番号:JPMJPF2221)」

・科学研究費補助金新学術領域(研究領域提案型)「情報物理学でひもとく生命の秩序と設計原理」の計画研究班「情報熱力学による生体情報処理の理論研究」(科研費番号JP19H05796

・東京大学統合物質・情報国際卓越大学院(MERIT-WINGS)からの助成

IBM Quantumからの助成

 

用語解説

(注1)量子コンピュータ

量子力学の原理に基づいて計算を行うコンピュータのこと。

 

(注2)量子エラー抑制

量子コンピュータにおけるエラーの対抗手段の一種。エラーの多い量子コンピュータで計算を複数回実行し、その実行結果を古典コンピュータに事後処理させることによって、エラーのない量子コンピュータの真の出力を予測する。ハードウェアに対する制約が少なく、現行の小中規模な量子コンピュータでも容易に実行可能であるという点で、後述の量子エラー訂正よりも優れている。

 

(注3)古典コンピュータ

量子力学ではなく、古典力学の原理に基づいて計算を行う従来のコンピュータのこと。我々が普段使用しているようなコンピュータは、基本的には古典コンピュータである。

 

(注4)量子推定理論

量子力学の原理に従う未知の対象について、その性質を推定する際の精度限界を与える理論のこと。

 

(注5)量子エラー訂正

量子コンピュータにおけるエラーの対抗手段の一種。量子エラー抑制と異なり、量子コンピュータの演算中にエラーを訂正することができるため、効率よくエラーを取り除くことができる。しかし、その実行のためには、現行の量子コンピュータよりも大規模な量子コンピュータが必要である。

 

(注6)ホワイトノイズ

あらゆる演算が等しい確率で加わるようなランダムなノイズ。全ての量子コンピュータの出力に対して、ホワイトノイズは一様に作用する。量子コンピュータの演算が十分にランダムな場合、量子コンピュータ中のノイズはホワイトノイズに近づくことが知られている。

 

 

 

プレスリリース本文:PDFファイル

Physical Review Letters:https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.131.210601